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 山本巖流第三医学研究会の理念と経緯  

 これまでの日本の漢方医学は、疾患に対して問・望・聞・切の四診を行い、気・血・水の病理観を導入し、陰陽・虚実・表裏・寒熱といった中国の自然哲学的思考を通じて、病態を総合的に「証」という概念で捉え、これに対応する方剤を投与して治療するというものである。この体系も一つの疾患の捉え方ではあるが、五感による前近代的な手法が中心であり、「術」が主体で「学」には成りにくい。

 一方、中国では、毛沢東の時代に中医を養成するために中医学院を作り、それに合わせて中医学が作られた。しかし、中医学も祖国医学を基本にして、陰陽五行説を中心に作られたため、一応「学」の体系になってはいるが、現代医学からすれば空理空論的な事項が少なくない。

 そこで、今後は近代医学的な知見も含めた漢方医学を「学」として作る必要がある。必ずしも「名人」を養成するのではなく、ある程度理解すれば誰でも一定の効果を挙げることができる再現性のある科学的な漢方医学である。そのためには、現代医学的な検査法や病因論も取り入れてできるだけ詳細に病態を把握し、一方で生薬の薬能を熟知した上で、その病態に応じた生薬を組み合わせて適切な処方を作って治療することが非常に重要である。さらに、洋の東西を問わず、有効なものは積極的に取り入れ、あらゆる医学を統合(integrate)し、新たな医学をめざし、発展させなければならない。このような理念のもとに、結縁繁夫先生の根回しの末、山本巖先生とその直弟子達が集まって1986年(昭和61年)に大阪で立ち上げられたのが第三医学研究会(integrative  medicine)である。

 2001年に創始者の山本巖先生がご逝去された後、2009年まで本会は継続されたが、その後休会となった。その間、いくつかの山本巖先生に関する成書が発行されたのを機に、山本巖流漢方医学が全国的に広く知られるようになり、より詳しくこの医学を勉強したいと希望される方々が急増することとなった。とりわけ九州の先生方を中心にその気運が高まり、福冨稔明先生主催の小郡漢方塾をベースに多くの先生方が山本巖流漢方医学を習得され、その有用性を実感されるに至り、その普及の具体的な基盤が作られた。

   一方、大阪でもこの状況を踏まえて、2012年に上原貞男先生のご提案で、山本巖先生の漢方医学を後世にしっかり広く伝承していくことを主目的に、第三医学研究会が再開されることとなった。再開後も山本巖先生の弟子達中心のclosedの会としての開催形式であったが、再開の主旨をより明確化して実践する必要があると考え、2016年より名称も山本巖流第三医学研究会と変更してopen化した次第である。

 なお、九州では、福冨稔明先生が中心になって、小郡漢方塾の延長として第三医学研究会in 福岡を開始された。その後も山方勇次先生らが中心となって活動を継続されている。また、広島でも中島正光先生が漢方塾として継承されている。今後はこれらの会とも深く連携しながら、お互いに山本巖流漢方医学をさらに普及・発展させていきたいと考えている。

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